|
 |
 |
ディーノ・ブッツアーティ作「魔法の背広」 挿絵より |
|
ブッツァーティ短編小説の魅力にとりつかれて |
S46年法学部卒 稲垣豊典さん |
 |
高田先生のイタリアの友人を招いての食事会風景(右端稲垣さん、後列中央講師高田先生) |
稲垣豊典さんのプロフィール
|

稲垣さん近影、佐賀竹林亭 |
昭和46年法学部卒業後、政府系金融機関に就職。
東京本店、大阪、地方中核都市など10数回の転勤を経験されました。
引っ越しでは奥さんには苦労を掛けたとか。
岡山支店をはじめ地方中核都市支店勤務時代には地元経済界、県庁などの方々との交流のほか、横綱北の富士や元、名横綱大鵬等と話す楽しい機会を得て、彼らの後輩関取への熱い思いに感銘を受けたそうです。 |
岡山支店時代には県から「岡山観光特使」を委嘱され、現在も岡山観光をPR中です。 |
|
 |
|
退職後、大阪家裁で調停委員として6年間勤務。担当は離婚調停と遺産分割調停で、6年の間に多くのケースに携われました。
現在は年金生活を享受。気の向いた時にはゴルフや星空を楽しむなどの趣味を持っておられるほか、関学同窓会、高槻・島本支部の副支部長(支部長代行)の要職を務めておられます。
|
 |
 |
稲垣氏若かりし頃 公庫時代
|
阿倍野支店時代(前列右端)
|
 |
 |
和歌山支店時代,和歌祭り出演(左稲垣氏)
|
大阪家事調停協会企画理事3人(中央)
|
 |
大阪家裁調停委員(関学ポプラ会後列右端) |
|
ディーノ・ブッツアーティとの出会い |
若いころから、東方見聞録のマルコポーロに興味があり、自由な時間が出来たら調べてみたいと思っておられたそうです。数年前に中之島にあるカルチャーセンターで講座「マルコポーロと世界を旅する」を発見し参加。その時の講師高田英樹先生から声をかけられ、イタリア語サロン(ブッツアーティ読書会)に入会。初めて出会った彼の「コロンブレ」に強烈な衝撃と魅力を感じ、短編小説を得意とする彼の作品を翻訳してみたいと思ったそうです。
入会当時、イタリア語に関してはまったくの素人でしたが、ブッツアーティの魅力に取りつかれて一念発起。高田先生の熱心な指導の下、読書会で学んだ小説の翻訳に取り組みました。これまでの翻訳作品は、「魔法の背広」、「何かが起こった」、「七人の使者」など5作を数えます。今回はその中の「魔法の背広」を紹介します。
|
ディーノ・ブッツァーティ(1906〜1972)について
|
 |
20世紀イタリア文学を代表する作家の一人。北イタリアのサン・ペレグッリノの豊かな家庭に生まれました。
ミラノ大学卒業後、新聞社に就職。記者として働く傍ら、エッセイストや小説家としても活躍。
彼の幻想的、不条理の作風から「イタリアのカフカ」と称されたこともあり、短編小説の名手としても有名です。 |
写真はWikipediaから |
|
|
ディーノ・ブッツアーティ作「魔法の背広」 |
↓下記の表紙画像かタイトルをクリックするとPDFファイルが開きます
|
作成 広報グループ 夏目 剛
|
|