地中海サイクリング
商学部44年卒 夏目剛
大学卒業後、42年間のサラリーマン生活を終えた年の4月から8月の4か月に亘って、ドイツ、ロマンティック街道、ヨーロッパ第二の大河ドナウ川添いの約3,700㌔のサイクリングを妻や末娘と行いました。この旅は長いサラリーマン生活に終止符を打ち、個人としての、第二の人生を歩む確かな指標となりました。そして、ポルトガル・リスボンからトルコ・イスタンブールまで、地中海沿岸をサイクリングする、さらに大きな目標へと膨らんでいきました。
今回は、2012年5月から7月までの約2か月に亘り、自転車を相棒に一人で旅した「地中海サイクリング」のお話です。 
ポルトガル・リスボンからフランス・ニースへのサイクリングの旅
リスボン―ニース サイクリング行程
(5月4日リスボン発~7月7日ニース着、距離2,160㌔)
ポルトガル・邂逅の旅

          清潔感溢れるリスボンの店

「Obrigado!(ありがとう)」。この国に入ってから、何回この言葉を使ったことだろうか? 返事はいつも当たり前のように「De Nada!(いいえ)」。ホテルや道が分からず困っていた時、地下鉄の切符の買い方が分からなかった時、言葉がわからないと見るや身振り手振りで親切に何度も教えてくれた心優しい人々に至る所で出会いました。街角には、朝開店と同時に歩道の掃除やショーウィンドウを丁寧に磨いている人々の姿が。清潔感あふれる街の印象が何よりもエトランゼの安心感を誘います。 

      大西洋を望んでの走行は快適そのもの

 通り過ぎる村々は白い壁にオレンジ色の屋根、窓には緑色や水色の縁取りのアクセント、これらがオリーブやブドウの緑と合わさって、澄み切った青空に映えてとても綺麗。大西洋からの快い風を右手に受け、初夏の日差しを体いっぱいに浴びながらのサイクリングは快適そのもの。
2010年8月下旬、私はリスボンを43年ぶりに訪れました。ロマンティック街道、ドナウ川の源流から黒海に至る3,690㌔のサイクリングの旅を終えて、日本への帰国を待つ間の4泊5日の懐旧の旅でした。学生時代に訪れた時の貧しい「ヨーロッパの片田舎」は、明るく清潔でアカ抜けした観光都市にすっかり変貌していて、私を驚かせました。


リスボン、バイシャ地区からのサンジョルジェ城

 
瀟洒な街並みに変貌していたカスカイスの街並

昼時、漂ってくるイワシの塩焼きの匂いが、瞬時に私を学生時代へと引き戻してくれました。ウィーンから、ドイツ、そしてデュッセルドルフからコペンハーゲンまでの往復のヒッチハイクを挟んで、リスボンを終着地とする4,700㌔のサイクリングで疲れ切った心と体を、優しくどこか懐かしく包んでくれたのもこの街に住む人々でした。乏しくなった懐に、苦楽を共にしてきた自転車を売って、一息つけたのもここの街角です。
かつて大航海時代の先駆者として、中国や日本など東アジアと交易を持ち、ブラジルをはじめとして全世界に広大な植民地を有していたかつての大国も、今では領土9.2万平方㌔、人口1,030万人のカトリックの小国に成り下がって久しいこの国に、EUが果たした役割は大変大きなものがあると感じました。


EUの観光地に変貌したカスカイスの浜辺


店先にはEU各地からの輸入品も

5月10日、スペインとの国境の手前の、海辺に近い新興の観光地モンテゴルドに辿り着きました。松林の中にポッカリと浮かんだ瀟洒な美しい街並みにも売り物件や賃貸物件の看板、休業の店舗が目に付き、ここにも不景気の波が押し寄せているのがうかがえます。


松林にぽっかり浮かぶモンテゴルドのホテル


ホテルAL cazar(朝食付€35=約4,600円で安い)

 
2日後、国境のグアディアナ川をフェリーで渡ってスペインへ入国しました。

スペイン・昼寝旅

5月12日、スペインに入ったら40℃の猛暑に見舞われました。リスボンを出発して、わずか1週間程で、日本の3月初めの気温から一気に真夏の猛暑へ突入して、まだ暑さに慣れていない体にはとてもこたえました。セビリアの辺りではもうすっかり日本の真夏の気候です。無理して事故を起こしては本末転倒と、鉄道で地中海岸のマラガに南下したら、今度は朝晩長袖でも寒いくらいでした。


夏祭りパレード、着飾った娘さん達


夏祭り、一人前の凛々しい乗馬姿


マラガのバールの店内風景


マラガのバール2

炎熱化のサイクリング

しばらくは調子よく走っていましたが、内陸の台地(メセタ)に入るとまた猛暑へ逆戻り。朝は20℃くらいで涼しいのですが、午前中には30℃を超し、快晴の空、太陽はギラギラと照りつけ、午後には40℃以上になって、走っていると暑さを通り越して顔は針をさすように痛いのです。 


            炎天下の道路を走る

1本の並木もなく、潤いのない砂漠のような炎天下を、たった一人走っていると、路肩にはペットボトル等のゴミに混じって、車に轢かれた犬、猫、針ネズミ、ウサギ、ヘビなどの動物の死骸があちこちに散乱しています。陽炎がゆらゆら立っている単調な灼熱の道を、それらの死骸を横目に見ながら一人走り続けるのは気持ちまで大変疲れます。
シエスタの習慣

スペインのビジネスタイムは10時から午後2時頃までと4時から晩8時頃まで。レストランは夜8時(アンダルシアでは夜8時半から9時)からオープンします。私は、この国の人はあまり仕事をしない国民なのだというイメージを持っていましたが、クーラーなどない昔、こんな暑さの中で仕事などとんでもない。「このようなビジネスタイムやシエスタ(昼寝)の習慣は、過酷な気候によって長い間に培われてきたのだ」と初めて気が付いたのでした。(スペインの皆さんごめんなさい)
そこで、まだひっそりしている街中を朝8時前に出発、涼しい間に目的地へ近づいて、午後の早い時間にホテルに到着。まずシャワーを浴び、汗でボトボトの衣類を洗濯し、パンやオレンジで軽い昼食。その後の1時間程のシエスタが、日課となり、まさしくスペイン昼寝旅になりました。

不動産バブル崩壊の痕

アンダルシア地方の観光地コスタ・デル・ソルでは、行く先々で不動産バブル崩壊の痕に出会いました。リゾート開発の頓挫や至る所で見られる値引き物件、営業停止のホテルや店舗、道路工事や建築工事の凍結等。でも人々はしっかり生活をエンジョイしているようでした。夕方6時を過ぎると、外気の熱気も少しずつ収まって、静かだった街中に、暑さに息を潜めていた人々がどっと溢れます。そしてバールやカフェで、家族や友人達と軽く飲食しながらお喋りに夢中です。不況はまるでよその国の出来事のように!?


開発中断で野ざらしの建物


建築中止の建物群


大幅値引き△60%で売り出し中


夕方の街角でおしゃべりに夢中

レコンキスタの感触

アンダルシア地方を旅して感じるのは、宗教間の争いの歴史です。8世紀から約800年に亘って、キリスト教へのレコンキスタ(国土回復運動)を激しく演じたのはご承知の通りです。この地方はその間のイスラム文化の影響を未だ色濃く残しています。イスラム建築の城跡や宮殿をはじめとする遺跡、街の造りや名前などにもアラブの影響が見られます。まさにキリスト文明とイスラム文明が合わさって独特の雰囲気を醸し出しています。
グラナダのアルハンブラ宮殿はその典型的な観光スポット。天井装飾やタイルアート、至る所にある池や噴水と美しいガーデンは、砂漠の民の水と緑への憧憬を余すところなく表現していると思いました。そんな視点で世界を見ると、現在でも紛争や戦争の多くに宗教が原因であることを改めて考えさせられました。


アルハンブラ宮殿は水と緑への憧憬


天井にはアラブの模様が

 
杖一本でからだを支えるグラナダの大道芸人

バルセロナのサグラダファミリア

カタルーニャ州を地中海岸沿いに北上してヴァレンシアやバルセロナに近づくにつれ、畑もオリーブからオレンジやレモンの、濃い緑の畑に変わって、なんとなく心が和みます。自転車のすぐ側を、100㌔以上の速度でぶっ飛ばす大型トレーラーや乗用車に、恐怖をたっぷり味わいながら、6月18日、スペイン第二の都市、バルセロナに到着しました。これまでの南部の州と違い、街並みや人々の表情にも中部ヨーロッパの雰囲気がどことなく漂います。
真っ先に訪れたガウディのサグラダファミリアはさすがに観光の名所、大勢の見物客で賑わっていました。1886年の着工以来、2026年の完成に向けて未だ工事中。石をノミで打つ音か? コンコンという音が壁の向こうから聞こえてきたり、ガラス越しに作業の打ち合わせをしている光景が見えたり。外壁も完成の時期によって、風化による色合いが違う点など大変興味深く、歴史の厚みにすっかりはまってしまいました。


未だ工事中のサグラダファミリア


完成年によって色合いが違う外壁


模型を使って打ち合わせ


サグラダファミリア内部

フランス入国

バルセロナからフランスに入るにはピレネー山脈を越えねばなりません。猛暑の中、走行で疲れた身体を山越えでさらにムチ打つのは、遠い学生時代に経験したピレネー越えの苦闘もよみがえり、敬遠して鉄道でフランスのペルピニャンまで行くことにしました。自転車なら4日程かかるところを、ピレネーを一気に越えて、6月21日昼前、ペルピニャンに到着しました。その夜のレストランでの食事は、それまでのオリーブオイルの味付けからバターの味わいに変わって、「フランスへ入国したんだ!」と舌で入国を実感したのでした。

フランス・味覚旅

南仏のホテル事情

フランスに入ると物価が俄然、高くなりました。特にホテル料金がスペインから大きく値上がりしました。季節柄それは仕方のないことでしたが、スペインと違ってチェックインの時間が厳密に守られており、チェックインの時間までは入口に鍵がかかっている所も多く、35℃を超す炎天下を走ってきた身にはとてもこたえました。日曜日にはホテルは閉まったまま、館内はシーンとして従業員が一人もいないということもありました。自分で勝手に開けて入れというわけです。予約した時に、ネット上に入口の鍵の開け方が載っていましたが、こんなこととはつゆ知らず、しかし念のためにと控えていたので助かりました。近くのホテルも同様でした。「お客様は神様」の「おもてなしの国」から来た私はとても驚きましたが、ここにもフランス人の「権利」意識を感じたのは私だけでしょうか?

地元レストランでの食事

夕食は大概、フロントでレストランを紹介してもらいましたが、期待外れは全くありませんでした。一般的にそのホテルの星数に見合うか、少し格上のレストランを紹介してくれるようです。そんなことで、外のレストランで地元のフランス料理を堪能しました。時には隣のテーブルのお客と片言のフランス語で話しながら。
自炊設備のあるアパートメントホテルでは、大型スーパーの『カルフール』で食料品を買って、自分で調理して気兼ねなしに食事をすることも出来ました。アルコールはもっぱらビールです。価格は日本円にして350㎖で100円以下ととても安く、EU域内からの多くの種類の輸入品に、EUの現実を痛感しました。


紹介されたレストランでの食事1


紹介されたレストランでの食事2


紹介されたレストランでの食事3


時には自炊も

アビニョンの思い出

6月28日、並木で「ジッジ、ジッジ」と鳴く蝉の大合唱に暑さを一層感じながらローヌ川添いを走って、昼過ぎにアヴィニオンに到着しました。かつて教皇のいた宮殿やノートルダム大聖堂などの歴史的建物も威厳を感じますが、フランス民謡に歌われている有名なアヴィニヨンの橋を右前方に捉えた時にはさすがに感無量でした。
その夜は旧市街のレストランで食事し、隣のテーブルの二人連れの女子学生との会話が弾み、「ココの名物料理を」と教えてもらい注文したら出てきてびっくり、なんと真ん中に生卵の黄身の乗った生肉のタルタルステーキです。顔は微笑みながら、内心おずおずで味はさっぱり? 「ぐちゃッ」とした何とも言えない生肉の感触だけが今でも鮮やかに口に残っています。


アヴィニオンの橋は半分の長さ


アヴィニオンの街角

サロンドプロバンスのお祭り

6月30日、サロンドプロヴァンスは夏祭りの真最中。露店が賑わって、冷やかして歩くだけでもとても楽しい。子供たちの楽しそうな顔、中世の領主や貴族、農民の服装をしたパレードが興味深く、お祭りはどこも一緒のウキウキした雰囲気でした。パレードを見ながらのムール貝のパエリヤはいけました。


サロンドプロバンスのお祭り


夏祭り・中世の装束でパレード

マルセイユで生ガキにあたる

7月2日、ラベンダー畑の花の良い香りを体に受けて、下り坂を一気に走って、午後1時過ぎにフランス第二の都市、マルセイユに辿り着きました。交通量が多く、町はごみごみしていて、なんとなく落ち着きの感じられない港町というのが第一印象です。
2日目の事、市内観光後に夕食をとろうと、港近くのレストランで,€19.9のコース料理を頼んだら出てきたのは生ガキ。一瞬不吉な予感がしましたが、思い切って食べたところ、案の定、夜中に激痛で七転八倒。とうとう一睡もできず、大変苦しい思いをしました。腹痛はその後3日間続き、ほとんど食事もとれずにすっかり体力を消耗しました。サイクリングの気力などとてもありません。その間の食事といえば、塩味のプリッツ少しに、水とリンゴが定食。薬は奈良の漢方の良薬、苦い陀羅尼助丸にお世話になりました。


ムール貝は白ワインにぴったり


生ガキにあたる

目的地ニースへ到着

マルセイユからカンヌへ鉄道で移動、カンヌで2泊して体調を整え、7月7日、ようやくサイクリングを再開。用心しながら35㌔走って、バカンスで大賑わいの目的地ニースに辿り着きました。5月4日にリスボンを出発して以来65日間、暑い中を約2か月かけてやっと果たした、2160㌔の自転車の旅でした。その晩は、スシバーに電話して出前を依頼。生ものを少なくした寿司に味噌汁、久しぶりのアルコールは松竹梅。サイクリングの無事を祝して一人乾杯。2か月ぶりに和食を食べたらもういけません、ニースでは「寿司時々中華」の食事となりました。


カンヌの海岸はバカンス真っ最中


ニース寿司バーで

鉄道の旅で浮いた日程を、スイスへバカンスに行くことにして、自転車等荷物をホテルに預け身軽になって、7月11日、高速列車TGVでジュネーブに向けて出発しました。
 

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